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ミュージシャン

マリア・カラスはギリシャの不世出のソプラノ!その劇的な人生とは

ギリシャ人のオペラ歌手としてだけではなく、

世界のオペラ歌手の中でも、最大級の成功と名声を手にした大歌手

マリア・カラス

をご存知ですか?

今なお「20世紀最高のソプラノ」と讃えられる偉大な才能でしたが、

その生涯は波乱万丈で、小説よりも奇なりを地でいく劇的な人生でした。

その稀有な人生を簡単にご紹介していきますので、ご興味ある方はぜひ読んでいってくださいね!

マリア・カラスは「20世紀最高のソプラノ」!

さて、ギリシャが産んだ史上最高のオペラ歌手

マリア・カラス

           By:Vanilafeel

オペラに詳しくない方でも、おそらくその名前だけは知っているんじゃないでしょうか?

揺るぎないベル・カント唱法のみではなく、感情豊かに歌い上げる演技力、その美貌、

そして波乱万丈の私生活でも、世界に名を轟かせました。

その圧倒的な人気と実力で、

「20世紀最高のソプラノ」

と称えられた、それが

マリア・カラス

なのです!

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マリア・カラスの誕生

さて、そんな「20世紀最高のソプラノ」

マリア・カラス

1923年、ニューヨークのマンハッタン5番街の病院で、

ギリシャ移民の両親のもとに生まれました。

本名は

アナ・マリア・ソフィア・セシリア・カロゲロプールウ

Aννα Μαρία Σοφία Καικιλία Καλογεροπούλου

と言います(なんて長い名前なんだ!)

この苗字

「カロゲロプールウ」

というのは、父親の苗字が「カロゲロプーロス」だからですが、

父親はアメリカでこれを簡略化した

「カラス」

と名乗っていました。

ですので、本人も、外国で通用しやすい

マリア・カラス

を通名として使っていたようです。

確かに、ギリシャの苗字は難しいのが多いので、外国ではなかなか通じにくいのはありますよね!

そういうわけで、カラス自身はギリシャ人の両親のもとにアメリカで生まれたのですが、

彼女の本当の音楽のキャリアは1936年、ギリシャのアテネで始まります。

お母さんがもともと歌手志望だったこともあり、

母国ギリシャのアテネにある

ギリシャ国立音楽院

に頼み込んで、入学させてもらうことに。

ここで音楽の才能が開花し、頭角を表したマリア・カラスは、

1941年 ギリシャでプロ・デビュー

ギリシャ各地で精力的に活動しますが、

1945年に、さらなるキャリアを求めて、再びアメリカへと渡ることに。

アメリカでは初めは無名で、オーディションを数多く受けて役を獲得するところから始まりますが、

やがてその声を認められ、世界的歌手として成功を収めていくことになります。

マリア・カラスの大成功と挫折!

そうして、アメリカに渡った

マリア・カラス

は、オペラ歌手として世界的な成功を収めることになります!

マリア・カラスの当たり役

カラスの当たり役としては、

「トスカ」

プッチーニ 《トスカ》 「歌に生き恋に生き」 マリア・カラス

「椿姫」

「蝶々夫人」

などがあります。

天性の美貌と演技力を持ち、オペラの登場人物に生身の生命を吹き込むような歌唱力。

オペラ界への貢献としては、それまで廃れていたベルカント・オペラの復活で、

特にギリシャ神話の魔女メディアを題材とした『メデア』は、マリア・カラスの当たり役になりました!

『メデア』

『ノルマ』

といった作品は、彼女の代表作として今も語り伝えられています。

*ギリシャ神話の魔女メディアについて詳しくは、以下の記事も合わせてどうぞ!

マリア・カラスの挫折

こうして世界的な成功を納めた

マリア・カラス

しかし、その絶頂期は長くは続きませんでした。

その圧倒的なベルカント唱法は、10年ほどしか安定した力を発揮できなかったのです。

世界的な人気を得て、数多くの公演をこなしたカラスですが、

1958年 ローマ歌劇場での『ノルマ』公演で、

途中で声が思うように出なくなり、第1幕だけで出演を放棄する事態に。

これで世界中から非難を浴びて、以後思うようにオペラの公演ができなくなってしまいます。

以降は、コンサート形式が活動の主軸となり、コンサートでも人気を博することに。

しかし、それも長くは続かず、

1974年の日本でのリサイタルが実質上最後の公演となりました。

この時の公演では思うように声が出ず、カラス本人は非常に不本意だったということです。

絶世期には圧倒的な力を発揮しながら、彼女の声が急速に衰えてしまった原因としては、

オペラの難曲と言われる作品を数多く歌ったために、

ノドが酷使されて歌えなくなった

ということも指摘されていますし、

私生活でも不摂生が続いたためにノドを痛めてしまった

という説もあります。

そして、失意のうちに1977年に53歳の若さで世を去ります。

不世出のソプラノとしての豊かな才能を持ちながら、

あっという間にその命とも言うべき声を奪われてしまった、という悲劇・・・

オペラ歌手の活動の難しさ、その繊細さを思い知らされますね・・・

マリア・カラスの波乱万丈の私生活!

そして、私生活の面でも波乱万丈だった

マリア・カラス

その生涯は情熱的な恋に彩られていました!

W不倫の果ての離婚

1949年には富豪のミネギーニ氏と結婚していましたが、

1957年には

ギリシャの海運王アリストテレス・オナシス

と出会い、不倫関係に!

当時はオナシスも結婚していましたので、いわゆるダブル不倫という関係です。

オペラの女王は、ここでスキャンダルにまみれることになります。

しかし、カラスはこの恋に夢中になり、夫と離婚。

一説には、オナシスとの豪奢で不摂生な生活が、カラスの歌手生命を縮めた、とも言われていますが・・・

オナシスの愛人に

オナシスの方はというと、カラスと内縁状態にありながらも正式に結婚することなく、

1968年には

なんと!

ケネディ大統領を亡くし未亡人となっていた

ジャクリーン・ケネディと結婚!!

カラスは長年の関係を裏切られることに!

しかし、こうして二人の関係は終わったかというと・・・

なんと!

カラスはずっと愛人としてオナシスとの関係を続けた

ということでも有名です。

え〜? なんで?

とも思うのですが、カラスが生涯をかけて愛したのは、裏切られてもなおオナシスただ一人だったのですね・・・

このようにオペラ歌手としてだけではなく、スキャンダルでも世を賑わせたカラスでした。

ここら辺の詳しいところはドキュメンタリー映画

『マリア・カラスの真実』

そして、フランスの名女優ファニー・アルダンがカラスを演じた

『永遠のマリア・カラス』

を見ると詳しいです。

*カラスが愛したオナシスについて詳しくは、こちらの記事も合わせてどうぞ!

マリア・カラスの歌声は永遠に!

というわけで、

ギリシャが産んだ不世出の歌姫

マリア・カラス

実に実に、劇的なその生涯・・・

栄光と挫折が彼女に襲いかかる、

本当にオペラの主人公のようなドラマティックな人生でした。

そして、やはり驚くべきはその声!

私はオペラには詳しくないですが、やはりその声を聞いて圧倒されるものがありました。

まだカラスを聴いたことがない方は、ぜひ一度「20世紀最高のソプラノ」の声を聴いてみてくださいね!

カラスの絶頂期の声は短い期間で失われてしまいましたが、

現在も録音を通してその圧倒的な歌声に触れることができます。

その歌声は、今も、そしてこれからも、永遠に語り継がれていくことになるでしょう!

*ストリーミングなら、今すぐマリア・カラスの声が聞けますよ!

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