どーもー、イレーネです。
先日から、ギリシャ神話天空シリーズ、ということで、
月の女神セレーネー、
太陽神ヘーリオス、
そして暁の女神エーオース
という3兄弟のお話をしてきました。
本日はそのついでで、
太陽神ヘーリオスの息子・パエトーン
の有名な神話をご紹介したいと思います!
山岸涼子さんのマンガでも再び注目を浴びた神話なんですよ〜
太陽神の息子パエトーン
さて、本日の主役は
パエトーン
その生まれについては諸説あるのですが、
太陽神ヘーリオスと、オーケアノス(大洋)の娘クリュメネーとの間の息子と言われています。
その他、暁の女神エーオースと、人間のケパロスの間の息子、という話もあります。
有名な神話では、パエトーンは父である太陽神ヘーリオスに、
どんな願いでも叶えてやる、と約束してもらったので、
太陽神が毎日東から西へと運転していく太陽の馬車に乗りたい!
と願ったのですね。
そこで、約束してしまった手前、太陽神は馬車をパエトーンに貸してしまったのですが・・・
パエトーンにはその馬車を乗りこなす力はなく、たちまち馬たちは暴走を始めます。
燃え盛る馬車のために地上は大混乱となり被害が広がり、
ついにはゼウスが、雷でパエトーンを空から撃ち落としてしまった
ということです。
無謀な願い事をしたために、哀れな最後ですよね・・・

ルーベンス『パエトンの墜落』(1604年頃/ナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵)
身の程知らずの神話?!
そんなふうにして、パエトーンはあえない最後となったわけですが、
そもそも・・・
太陽神だけが乗ることのできる太陽の馬車に乗りたい!
と、身の程知らずのことを願いでなければ、命を落とさずに済んだわけです。
運転の仕方も知らない馬車に乗っては、自分の身も危険にさらすのは明らか。
例えて言えば(?)私が免許もないのに大型トラックにいきなり乗るようなもんですよ。
どこに突っ込んでいって大事故になるか、わかったもんじゃない。
ですから、このパエトーンの神話は、
自分の能力を超えたことに無謀にも手を出すなよ、下手すると大失敗だぞ
という、道徳的なことを教えているとも考えられます。
世間知らずの2世がいきなり大会社を継いでも潰すだろうし、
素人がいきなり株をやっても大損します。
それは、パエトーンのように、自分の制御できない馬車に乗り込んでしまったのと同じことというわけですね〜

ヨハン・リス作『パエトンの墜落』(17世紀初頭)
パエトーンの馬車は原子力の馬車か?!
さて、このパエトーンの神話は、そういう風に教訓的なお話なので、
これまでも多くの芸術家にインスピレーションを与えて、絵画作品になったりしているのですが、
東日本大震災での福島の原発事故
これにより、再び脚光を浴びた作品があります。
それが、山岸涼子さんのマンガ
「パエトーン」
山岸涼子さんといえば、かの有名な「日出処の天子」の作者で、国民的漫画家の一人、と言っても過言ではないでしょう。
これもある意味、神話的な作品でしたよね。
そんなイマジネーション豊かな彼女が「パエトーン」の神話を読むと、
パエトーンの姿は原発事故を起こした人類と重なり合うもののようです・・・
このマンガ「パエトーン」は、そんな人類に教訓を与えるため、現在webで無料公開されています。
まだ読んでいない方は、これを機会に一度目を通してみてくださいね。
(*現在は無料公開は終了しています)
遠いむかし、神になり代われると思いあがった若者・パエトーンをめぐる悲劇。ギリシャ神話に描かれたこの物語を現代に展開し、原子力発電の是非について世に問いかけた山岸凉子の短編作品『パエトーン』(1988年作品)を、今回Webにて特別公開させていただくこととなりました。
「原子力発電」の必要性や安全性については賛否様々なご意見があると思いますが、本作品をひとつの問題提起と捉え、将来的なエネルギー問題を議論してゆく上での一助としていただければ幸いです。「パエトーン」特別無料公開のページ
http://usio.feliseed.net/paetone/
書籍版で読みたい方は、こちらに収録されています。
『夏の寓話 (山岸凉子スペシャルセレクション)』
山岸涼子さんがこのマンガを描いたのは、
チェルノブイリ原発事故の後、1988年のことだそうです。
そうして、2011年、ついには、日本の原発が事故を起こしました。
山岸涼子さんが、
「私たちはパエトーンのように制御できない馬車に乗っている」
と言った警告は、結局生かされませんでした。
私たちは今後も、こう言った警告を無視して突き進んでいくのでしょうか・・・?
私たちの力を超えた存在への敬意
というわけで、本日は太陽神の息子であるという
パエトーンの神話をご紹介しました!
この神話では、「自分の能力を超えたものを手にする恐怖」という、教訓的なものを伝えている面があって、
それが古今様々な人々のイマジネーションをかき立ててきたのですね。
ただやはり、この神話の、というよりはギリシャ神話全体のベースにある考え方として、
自然や世界の全ては、人類の力を超えているものであって、
世界には私たちの思い通りにはできない大きな力が働いている
ということなんじゃないのかな、と私は思うのです。
ギリシャ神話の中で、人間は神々に比べて、驚くほどちっぽけです。
簡単に死んでしまうし、哀れなほど力がない。
でも、人間はそういうものなんだ、ということを古代ギリシャの人たちは日々実感しながら生きていたと思うし、
実際に人間は自然や神々に比べてちっぽけです。
そういう中で、ちっぽけなりに生きているのが人間なんだと思うのです。
現代は神話と切り離されて生きるようになってきて、人類は「ちっぽけじゃない」って幻想を持ってる部分もあると思うのですが、
いやいや、いつでも、今でも、これからも、人間はちっぽけですよ
と伝えているのが、このパエトーンの神話やギリシャ神話だな、と思うんですが、いかがでしょう?
この神話を読んで、どんなふうにとらえたか、ぜひ教えていただけたら嬉しいです!
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