ギリシャの歴史

ギリシャの古代都市ヘリケを襲った地震と津波

本日は古代ギリシャの

ヘリケという町が地震でどうなったか

について、ご紹介したいと思います。

日本と同じく、ギリシャも古代から地震災害の多い国であり、古くからの記録も残っています。

同じ地震国に暮らす日本としては、

これまで地震がもたらす災害を経験してきたギリシャの歴史から、

学べるところがあるかもしれません。

海沿いの都市、ヘリケ

さて、今回ご紹介したい

ギリシャの古代都市ヘリケ

この町は、ペロポネソス半島北部にあったと考えられている、古代ギリシャのポリスの一つです。

この地図で赤く印のついている、アカイアの海岸沿いにあったと考えられています。

古くはホメロスにも名前が出てくるように、歴史あるポリスとして栄えていました。

海岸から町までは、およそ2キロ

それほど海の目の前の町というわけではないのですが・・・

地震の後に起きた津波は、その2キロをあっという間に駆け抜けて、

ヘリケの町を飲み込んでしまったのです。

ヘリケが消えた大災害

その災害が起こったのは、

紀元前373年の冬のこと

と伝わっています。

パウサニアスが伝えるところによると・・・

ポセイドンの怒りは容赦なく、たちまち地震がこの地を襲い、建物も崩し、建物どころか市の土台そのものまで、後世の人々の目から消し去ってしまった。

(パウサニアス『ギリシア記』7.24.6より)

ということですので、

ヘリケの町は文字どおり、消えてしまったのです。

ヘリケの町をこのように壊滅させて、目に映るところから消してしまったのは、

地震に続いて起きた津波と、地盤沈下でした。

・・・ヘリケを襲ったのは、土台を押し上げるこの型の地震だったが(*直下型地震)、振動につれて冬場の市にもう一つの悲運も襲い掛かった。海がこの地方の大半を襲い、市をすっぽり包み込んだ。加えて津波は、ポセイドンの社のところで、樹々の梢がやっと見渡せるほどの高さに達した。この神(ポセイドン)が突如として震い、地震と共に海が駆け上って、波はヘリケ市を人間ぐるみ引きさらった。

(パウサニアス『ギリシア記』7.24.12より)

ということですので、この記述から分かる被害の全容としては、

海が木の梢まで達したということは、数メートルの高さにまで水が押し寄せたと思われます。

この津波が、ヘリケ市の人々もろとも、町全部を消し去ってしまったのです。

このヘリケの災害について、ストラボンの書き残しているところによれば、

この地震でヘリケ市の地域全体が海に沈んでしまい、

アカイア人が2000人を送って捜索にあたりましたが、遺体を回収することはできなかったそうです。

(ストラボン『地誌』8.7.2より)

この記述によると、つまりは町全体が海に沈んでしまって、人々の遺体すら見つけられなかった、ということですね・・・

大地震の後に津波が来ることは、日本に住む私たちもよく知っていますが、

この時ヘリケの人たちはどれくらい逃げる時間があったのでしょうか・・・?

改めて、自然の猛威にぞっとさせられる記述が残されていることがわかりますね。

ギリシャも日本と同じように海洋国家で、海沿いの町はその海の恵みに頼って暮らしていますが、

一度災害が起こると、その海が牙をむいて、人間ごと、町ごとさらっていってしまう・・・

そう考えると、ギリシャ神話で「海の神」であるポセイドンが、

「地震の神」でもあった、というのは偶然ではないのかもしれません。

*ギリシャ神話のポセイドン神について詳しくは、こちらの記事もご参照ください。

ヘリケの再発見

さて・・・

ヘリケという町はそうして海に沈み、やがて人々の記憶からも薄れて、

長い間、その海底都市がどこにあるのかも分からなくなっていました。

この、パウサニアスやストラボンが書き残している都市はどこにあったのか?

この問題はずっと考古学者たちの頭を悩ませていて、

最近の水中考古学の発展にもよって、近くの海域の探索もされましたが、

ヘリケが実際にどこにあったのかは、なかなか確定はされませんでした。

しかし、消えた町・ヘリケは意外なところから発見されました!

それまでは、水中を主に捜索されていたのですが、

実はヘリケが沈んだ地帯は、湾のような形で海につながり、長年の堆積物によって、完全に地中に埋もれていたのです。

2001年、古代ヘリケ市の場所が確認され、

発掘の結果2012年には、地震の痕跡も確認され、ヘリケ市であることが裏付けされました。

発掘の模様の動画です(英語のみ。)↓

*発掘の模様

By: Drekis

現在も、このヘリケ市一帯の発掘は進んでいます。

さらに発掘が進めば、ヘリケ市がどのように災害によって消えたのか、

詳しい状況も分かってくることでしょう。

そしてそこから現在の私たちは、多くを学ぶことができるのではないでしょうか。

災害から学び、忘れないこと・・・

というわけで、本日は、

地震と津波で歴史から消えてしまった古代ギリシャのヘリケ市

をご紹介しました。

え? こんなのは特別な例だから、日本では起こるはずがない?

そうでしょうか?

日本も同じように、地震を繰り返すプレートの真上にある島ですし、

ヘリケ市のように、大地震でプレートがずれて、

大規模な地盤沈下が起きる可能性は大いにあると思います。

起きない、と考えるのは、

この日本に住んでいる私たちにとってはあまりにも楽観的でしょう。

実際に東日本大震災では、「想定していない」大規模な地震と津波が日本を襲いました。

いたずらに恐怖心を煽る訳ではありませんが、

日本も地中海一帯と同じように、いつ大地震や津波が襲ってくるか分からない

ということを知っておくのは大切なのではないでしょうか。

そしてヘリケの災害の記述から想像する限り、

地震が起きてから津波が襲って来るまでは、ほんのわずかの間しかなかったのかもしれません。

同じ災害が起こりうる日本に住む私たちは、

その短い時間の中で、どうやって人々を脱出させたらいいのでしょう?

過去に起きた災害を正しく知り、どうやったら被害や犠牲を抑えられるか、

それを検証し続けることが、未来の子孫を助けることにつながります。

古代ヘリケ市の災害が今なお私たちに伝えられているように、

東日本大震災の被害の記録も、できる限り後世に語り継ぎ、

未来を少しでも良いものに変えることができるようになれば、

と願わずにはいられません。

改めて、東日本大震災の犠牲者の皆さんのご冥福をお祈り申し上げます。



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