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私たちは分断されている:民主主義とギリシャと日本人の3つの矛盾

更新日:

こんにちは、イレーネです。

アメリカにトランプ大統領が誕生して、およそ一ヶ月。

メキシコとの国境に壁を作る、特定の国からの入国を拒否する、

と論争を巻き起こしながらも早くも新体制が動き出しています。

このまま行くと、いったい私たちの住む世界はどうなっちゃうんだろう・・・?

このまま分断されて対立に向かって突き進むしかないの?

と、そこはかとない不安がおそって来るのは、自分だけ・・・?

私たちの民主主義とは、いったい何・・・?

と思ったので、本日はちょっとマジメに、

ギリシャと民主主義、そして今の日本と「分断されている私たち」について、

自由に動けるようでままならないもどかしさを書きとめてみようと思います。 

ちょっと重いテーマですが、たまにはいいかな? ぜひお付き合いください。

geralt / Pixabay

古代ギリシャで生まれた民主主義

私たちは今、「民主主義国家」である日本に生きている。

では「民主主義」とは?

私たちは「民主主義」と聞くと、「自由で、平等で、市民一人一人に投票権があって・・・」と連想するのでは?

ではそもそもその「民主主義」が生まれた古代ギリシャではどうだったか、ご存知?

まあこれは、学校の歴史の時間で習ったことですので、復習まで。

「民主主義」という言葉は、英語の democarcy から来ていてますが、

もともとはギリシャ語の δημοκρατία (デーモクラティアー)です。

これは δῆμος (デーモス)「民衆」「市民」 と κράτος(クラトス)「力」「支配権」の合成語で、

合わせて「市民に力があること」、

要するに、市民が支配する政治体系で、市民が直接政治に関与することができ、力を持っている、

ってことなんですけどね。

これが古代ギリシャ社会でいち早く実現できたのは、

早く商工業が発達し、貨幣経済が確立され、

王侯貴族階級以外でも、経済力をつけた市民が現れだしたこととが関連していると言われています。

とまあ、こんなカンジが大体知られているところかな。

kirkandmimi / Pixabay

民主制から排除されたもの:奴隷・外国人・女性

というわけで、古代ギリシャで「民主制」っていうのは生まれた、ということなんですけど、

その「民主制」には、大量にそこから排除された人たちがいた、

っていうことも、ぜひ知っておいてほしいなあ。

有名な話では、紀元前451年に、かの有名な政治家ペリクレスが、

アテナイ市(現在のアテネ)の市民というのは、両親がアテナイ人の者に限る、

と決めたんですよね。

だから、外国人は徹底的に排除されている。

こんな閉鎖的なシステムには、当然矛盾も起きるんですよね。

実はペリクレスには、アスパシアという居留外国人の愛人がいて、

その間に生まれた息子は、本当は自分の決めた法律では正当なアテナイ市民にはなれませんでした。

ところが正妻との嫡男が亡くなったら、こちらの愛人の息子を特別に自分の相続人にしてもらっちゃった!

全くアホかいな?

という、もともと無理があったシムテムなんです。


アスパシア

それに、かの有名な哲学者アリストテレスだって、アテナイ人じゃなかった。

プラトンの「アカデメイア」で学んだ超優秀な学者であったアリストテレスすら、

アテナイの民主制のシステムでは排除されるという。


ラファエロ『アテナイの学堂』(1509年 – 1510年)

しかも、市民というのは、18歳以上の男子に限られる。

おいおい、人口の半分を占める女性は?

そう、民主制からは排除されていたわけ。

しかも、しかもですよ?

古代ギリシャのポリス社会というのは、大量の奴隷たちに支えられた社会でもあります。

アテナイ市の最盛期紀元前5世紀には10万人くらいいたんじゃないかと言われてる。

18歳以上の男性=市民は、大体4万くらいしかいなかったんじゃないかと。

市民の家族全部合わせても15万くらい?

というから、どれほどの数の奴隷たちがその生活を支えていたことか。

で、当然奴隷たちには参政権なんてあるわけないですからね。

とまあ、これほどの大量の人間を排除した上で成り立っていたのが、

古代の「民主制」というわけ。

「自由」と「平等」とか?

それは一部の男性市民しか持っていなかったんですよ〜。

まあこれが、私たちの知る最初の「民主制」の正体。

「差別」と「排除」。

こういった分断を無くしては、古代の「民主制」は成り立たなかった。

「民衆」は「衆愚」

さて、そんなふうに一部の成人男性市民に限られていた古代の「民主制」

それだけ選ばれた人たちのすることだから、さぞや立派な政治だったんだろうって?

いやいや、今でもかの有名な言葉にギリシャ語が残っちゃってますからね〜

それは「デマゴーグ」(ギリシャ語で「δημαγωγός」)!!

「デマゴーグ」(英:demagogue)は日本語に訳せば「扇動政治家」

感情的に民衆を扇動し、誤った方向にも導いてしまう、「デマゴーグ」たち。

日本語では「デマ」と言えば「嘘」という意味で使われているくらい。

「デマに惑わされないで!」ってね。

古代の民主制には、そりゃまあ、「デマゴーグ」たちがぞろぞろ現れて、

それでいわゆる「衆愚」政治に陥っちゃう。

「衆愚」ってすごい言葉ですよね。

「民衆」が「愚か」と書いて「衆愚」。

民衆に力のある「民主制」で、その「民衆」がおバカだと目も当てられない。

だから古代ギリシャ民主制の末期なんて、バカなことばっかりやってる。

完全にギリシャ人同士の内輪もめの「ペロポネソス戦争」がそのいい例ですよね〜。

メロス島の住民を虐殺した「メロス島事件」だの、「シチリア遠征」だの、

アホか・・・

で、当然そんな民主主義を憂える人たちもいたわけですけど。

でも結局、古代ギリシャの民主制に導かれたポリスは、急速に衰退することになるのです。

edibejko / Pixabay

王政のマケドニア王国に敗れる

そんなわけで、すっかり「衆愚政治」に陥っていた古代ギリシャ社会の没落は、

案外早くやってきましたよ。

あれほどの文化・芸術・学問を誇り、一時は古代世界のトップを走ったギリシャが・・・

あっけないものでした。

紀元前338年 カイロネイアの戦いで、ギリシャ連合軍は、

新興のマケドニア王国のフィリッポス2世(アレクサンダー大王のお父さん)に敗れ、

その勢力下に入ることになります。

民衆が力を持っていた民主制の始まりの社会が、

一人の国王に権力を集中している「王政」に完全に敗北したわけ。

しかも、古代アテナイ社会が受け入れることを拒んだ哲学者・アリストテレスは、

フィリッポス2世の嫡男・アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)の家庭教師だったという皮肉!

英才教育を受けたアレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)は、

ギリシャ市民が作り上げた「ポリス」をぶち破って、

しかも自らのマケドニア王国の枠もぶち破って、

歴史上初の大規模な「世界帝国」を作り上げたのでした。

貪欲に異国の地へ踏み入り、各地で「アレクサンドリア」を建設して、外国の女性たちとも婚姻したその人生は、

古代ギリシャのポリスが排除を重ねて自らの世界を小さく定義していたのと対照的ですよね?


「イッソスの戦い」のモザイク画

じゃー、私たちの「民主制」って?

そんなわけで、古代ギリシャの「民主制」は、

王政のマケドニア王国の傘下に消えていったという。

そんな「民主制」は、姿を変えて今、日本の私たちの元に引き継がれている、ってこと。

でも、それもそもそも、日本が戦争に負けてアメリカの傘下に入ったから、

外からやってきて、たかだか70年ちょいでしょ。

「自由」だ「平等」だ、「民衆の力」だ、と言われても、

歴史的に見たら、昨日初めてそんな言葉を聞きました、くらいな感じ?

んで、そもそも、それを日本に持ってきたアメリカさんだって、

今どうよ? 

ですよ。

「デマゴーグ」(demagogue)

で画像検索したら、「もう一度アメリカを偉大にする」誰かさんの画像がポンと出てきましたけどね。

参考まで。

Sambeet / Pixabay

まあ、でも、古代ギリシャの歴史を見ても、

「民主制」の歴史は「デマゴーグ」の歴史でもあったから。

今さら驚くことでもないのかな〜。

「自由」と「平等」のアメリカが分断されてしまう!

って危機感を持っている人たちも多いけど、

ま〜、アメリカもつい最近の1950年代まで、

アフリカ系市民は同じバスの席に座るな!同じトイレ使うな!

と壮絶な「差別」と「排除」という「分断」の歴史を持っているわけだからね。

そこら辺、この映画を見ると分かりやすいですよ〜!

もうこんな時代は過ぎ去った、

ってアメリカはオバマ大統領を選んだはずだったけど、

今再び、特定の宗教や特定の文化的背景を持つ人たちや、特定の国籍の人たちは、

アメリカ社会から排除される方向へ向かってる。

って、こんな矛盾だらけの「民主制」を

アメリカから輸入してありがたく使ってる私たちって、

一体、何? 

どこに向かっているの??

分断は私たちの中にある

じゃあ、そんな「差別」と「排除」という、

果てしのない「分断」の歴史におさらばして、

もっと「自由」で、もっと「平等」で、もっと良い「民主的」な社会を私たちが作りたいとしたら・・・

どうするの??

残念ながら、今の日本だってとてもお世辞にも、「自由」と「平等」どころじゃない。

貧富の差は拡大してるというし、

女性の社会進出は先進国の中でも最低レベルだし、

男女平等ランキング、日本は101位 女性活躍へ道遠く

難民の受け入れもほとんどしない。

日本の難民認定、5000人中11人と先進国中最低 「島国は言い訳にならない」海外から批判

日本は内からも外からも、分断されているのでは?

ん〜、

私たちは70年前の戦争で大変な目にあって、

もっと平和で、自由で平等で「お国のために」死ななくてもいい社会を作ってきたはずなのに??

これだと、古代ギリシャの民主制に近いカンジ?

デマゴーグに簡単に踊らされちゃうよ?

でもきっと、こういう状況を作っている分断は、私たちの心の中にあるんです。

私たちが何気なく使っている日常の言葉、

なんとたくさんの「分断」が行われていることか!

「男だから」
「女のくせに」
「日本人らしく行儀よくしろ」
「日本人のくせに箸もちゃんと使えない」
「〜は外人だから」
「○○才らしくない」
「年下のくせに生意気だ」
「年上に対する口のきき方か」
「年甲斐もなくはしゃぐな」
「○○出身者は遠慮がない」
「○○出身者はルーズだ」
「○○大学だから頭がいいはずだ」
「○○大学だからバカだ」
「○○銀行だからキチンとした人だ」
「公務員だから真面目だ」
・・・・・・

もう、書ききれない!

おかしいな?

日本は戦後「自由」と「平等」な「民主主義」社会になったはずなのに、

私たちの頭は、

ジェンダー (男/女) で、
(「男だから」「女のくせに」ってホント好きだよね)

国籍・民族 で、
(「ガイジンには分かんない」って本気で思っている人まだいるよね)

年齢で、
(儒教社会、一つでも年が上だとエライのか?)

学歴で
(まだ学歴で人生決まると思ってる人いるよね)

職業で
(どんな職業だろうとクズはクズなんだけどね)

っていうように、

頭の中に勝手に作られた壁によって「差別」し、「排除」し、

分断の高い壁を作ってる。

しかも、こういう分断の最悪なところは、必ず「対立」と「衝突」を生むんです。

「男のくせにだらしない!」
「女なんだから女らしくしろ!」
「日本人はだから融通が利かない!」
「○○歳のくせに年相応にしろ!」
「〜大学出てないくせに!」

などなど、分断された他グループからの攻撃を受けやすい。

もちろんこの攻撃の根拠なんてないですよ。

単に頭のなかにできた壁によって引き起こされている思い込みです。

でも、その高い壁を越えるのは簡単じゃない。

だって、目に見えないんだから。

メキシコ国境の壁よりきっと、越えるのは難しい!

分断の壁でできた箱

そんなふうに私たちは、

「自由」と「平等」の社会に生きてるはずなのに、

心の中に築かれた高い壁によって分断され、

堅苦しい小さな箱に押し込まれているみたい。

古代ギリシャ・アテナイの市民が、成人男子に限定されていたみたいに、

いや、それよりも細分化されて、

「男/女」
「性的嗜好」
「年齢」
「出身地」
「国籍」
「宗教」
「学歴」
「職業」
「年収」
その他アレコレ

によって、分断されて小さな「檻」に入ってる。

分類されずに、そこらをウロウロしていると、捕まえられて、

いろんなラベルを貼られて、同じラベル同士の「檻」に突っ込まれてしまうんです。

実はその小さな「檻」に入ってる人間たちは、それぞれ個々人違っているんだけど・・・

まあ、「ライオン」は「ライオン」の檻に入れるのと同じで、

「日本人」「女」「○○歳」「会社員」「大卒」

とかで分けられて、ポンと同じ檻に入れられて、

身動きできなかったりする。

「ライオン」「メス」「○○歳」「セレンゲティ出身」

の檻と同じだね。

そんな小さな檻は狭くるしい・・・

と思っても、どうやって抜け出したらいいか分からない・・・

日本社会のせいか?

いや、海外に住んだら住んだで、

「日本人」

というでっかいラベルを貼られることには変わりなかったりする。

海外に住んでた時に煩わしかったことの最大のものは、

「あなたは日本人だから〜〜でしょ」

という前提条件で話されること。

「日本人ってこう言うもの好きだよね」
「日本人ってこう言う話し方するよね」
「日本人だから礼儀正しいよね」
「日本人はおとなしいよね」

「日本人だから」「日本人は」「日本人」「日本人」「日本人」

あの〜、私は「日本人」という生き物じゃなくて、

「私」は「私」なんですけど?

でも、「ライオン」は「ライオン」の檻に入れられるのと一緒で、

「日本人」は「日本人」の分類箱にまず放り込まれるのです。

「日本人」以外だって

「東洋人」だったり

そうじゃなくても「有色人種(colored)」だったり

何をやっても、何を話しても

そこから出ることは、多分、できない。

私たちはいつの間にか、でっかい動物園に、暮らしてる。

DanielAlon / Pixabay

壁を取り払った後には、何が残る?

もし、

もしですよ?

人間がすべて、そういう小さな檻を飛び出して、

「日本人」「オス」「○○歳」「○○出身」「職業○○」

その他もろもろのたくさ〜〜〜んの分断の壁を通り越して接するようになったら?

そこには・・・

「個」

というものが現れるはずなんだけど。

グループ分けの分類材料をすべて取っ払ったら、

当然

「日本人」グループ
「オス」グループ
「○○歳」グループ
「○○出身」グループ
「職業○○」グループ

がすべて崩壊して、

バラバラの個人になりますよね。

「個性を大事にしよう」とか、「人間一人ひとりが大事」とか言うなら、

まずグループを分断する壁を超えてバラバラの個を見なくちゃいけないはずなんです。

そうすると、分断されたグループ間の「対立」「衝突」も回避されるし、

「個」対「個」の対立は大きな紛争にもならないから、大きな戦争も回避できるし。

理論的にはね。

でも質問です。

こう言う全部のグループ分類を超えて、「個」を見る、ってやったことありますか??

出会って自己紹介をするとします。

まず名前を聞きますよね?

その次は?

性別は服装と容貌でまず男か女か二分割。

次は勤め先の肩書きとかで社会的属性で分類して、

年齢を聞いて自分より上か下か、
年の差は何歳か、
〜〜年代なら〜〜な人なはず、

学歴を聞いたら
〜〜大学ならスゴ〜イ
〜〜卒なら、まあ自分より上だなとか下だなとか・・・

とかであっという間にベタベタとラベルを貼り付けて、

同じラベルの人間の入ってる檻に放り込んでいませんか??

男の格好してるけど女ですとか
銀行員だけどラッパーですとか
13歳だけど大学入ってますとか
50歳だけど精神年齢が10代くらいだとか
大学行かなかったけど会社役員ですとか

そういうラベル外の事態があるかもしれないということはとりあえず目を伏せて、

まあそうはいっても

「女なんだから」
「銀行員なんだから」
「年齢は変わらないんだから」
「大学出てないんだから」

とラベル付けして分類して良しとしてる。

でもね・・・

そういうラベルで分断化して身動きできないくらい固定化しちゃうと、

結局古代アテナイの民主主義が身動き取れなくなっちゃったみたいに、

閉塞感に包まれていっちゃうことになると思うんです。

しかも分断の行き着く先は、

「国家」とか「民族」とか「企業」とかのグループ集団のために、

「個」が完全に無視されることじゃない?

「ユダヤ人」は死ね、

「日本人」は敵、

鬼畜米英・・・

って、また来た道を逆戻りするつもり?

「女は頭が悪い」
「アフリカ系は人種的に劣る」
「純粋な○○人」

とかいう幻想・妄想のために、「個」を無視して分断の壁を建て続ける??

これはすべて、私たち個人個人の頭のなかの分断の壁を取り払えるかにかかってる、

と思うんです。

そして、分断の壁が崩れた後に、ようやく「個」が現れる。

そこに、個人の「自由」と「平等」があるはずでしょ?

男だろうか女だろうが、何したっていい。
宗教も、国籍も、民族も、なんだっていい。
年齢が何歳だろうと、どこで生まれたのだろうと、
何を学んできて、これから何を仕事としようといい。

全部、個人個人の選択だから。自由だから。

そんなラベルのない、檻のない動物園みたいな世界は怖い?

でも、歴史を後戻りして「日本バンザイ」って死にたくなかったら、

デマゴーグに扇動されて滅びたくなかったら、

分断の壁をぶち破るしかない!!

ライオンは、動物園の檻じゃなくて、自然の草原で生きたほうが、より、ライオンらしいはずでしょ?

davidsluka / Pixabay

私たちは分断されている

で、結局、元の話に戻るけど、

私たちの「民主制」は、

「差別」と「分類」と「分断」によって出来てきて、

しかも厄介なことに、その分断する壁は私たちの頭のなかにある、という。

分断された小グループ内にとどまるのではなくて、

その壁を破って「個」として認識するって、

実はとんでもなく難しい作業なんだな。

だから今日も私たちは分断されている。

堅苦しい、と思っても、どうしたらいいのか分からない。

でも、分断の壁を越えることは、できる!

そういう希望も持ちたいんですよね。

Lady Gaga が

「Born this way」で、

自分はこうやって生まれたんだから、どんなだろうとこれでいいんだ

ってなことを歌ってからずいぶん経つけど、

今またアメリカはさらなる分断の壁で揺れている。

でも、そんな年の Super bowl half time show で、また Lady Gaga が「Born this way」を歌うっていうのもまたアメリカらしい?

そして私たちはどうなる?

すべての人たちが「こうやって生まれたんだからこれでいい」って言える日が来るかな?

それともさらなる分断の壁で押し込められていくのか?

分断の壁をぶち破った先には、何があるか?

もう一度「Born this way」を聞きながら、ぜひ考えてみてくださいね〜

いや、このパフォーマンスは、一見の価値ありですよ〜

本日はいつにない長文、お付き合いいただいて、ありがとうございました!

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